クリスマスを代表的するお菓子といえば、シュトーレン。
シュトーレンの歴史を語るときに、必ず現れる奇妙な言葉がある。
それが「バターレター(Butterbrief)」。
直訳すると“バターの手紙”。
中世のドイツ・ザクセン地方。
まだシュトーレンが「素朴で味気ないパン」だった時代のことだ。
当時の人々は、クリスマス前の「アドベント(待降節)」には節制を求められ、
動物性脂肪であるバターを使うことが教会によって禁じられていた。
小麦、水、酵母。時に菜種油。
味気ない生地で焼くストルツェル(Streuzel)。
今の、バターがじゅわりと染み出すリッチなシュトーレンとは程遠い。
そんな状況にため息をついていたのが、ザクセンのパン職人たちだった。
◆ パン職人たちの嘆願──「司教さま、どうかバターを使わせてください」
1480年代、ザクセンの領主であったエルンストとアルブレヒト兄弟(ヴェッティン家)が
「司教さま、冬の祝いのパンに、少しだけバターを使わせてください。」
“シュトーレンをもっと美味しくしたい”という理由で、司教に直訴した。
「どうか、民の願いを聞き入れていただきたい。」
しかし教会の戒律は厳しい。
当初は当然のように却下される。
動物性脂肪の使用禁止は、アドベントの重要な戒律だったからだ。
ところがパン職人たちは諦めなかった。
彼らにとってバターは単なる食材ではない。
“シュトーレンの命”そのものだったからだ。
◆ ついに出された「バターレター」
そして、1491年。
ついに教皇インノケンティウス8世が、ザクセンの嘆願に対しある許可を出す。
それが歴史に刻まれた──
「バターレター(Butterbrief:バター使用許可証)」
しかしこれは単なる許可ではない。
“バターを使いたければ寄進せよ”という条件付きだった。
- バター使用の許可
- ただし、代わりに一定の寄付(教会税)を支払うこと
- その寄付は宗教施設の修繕に用いる
つまり、
バターは贅沢品。使いたければ、相応の“お布施”を払ってね。
という、かなり現実的な「交渉の産物」だった。
宗教的戒律と、食文化的欲求の間で生まれた折衷案。
これが後に語り継がれる“バターレターの誕生”である。
◆ バターレターが、シュトーレンを変えた
このバターレターが出たことで、ザクセン地方の人々は
公式にバターを使ったリッチな生地でシュトーレンを作れるようになった。
バターは香りを与え、保湿し、保存性を高める。
その効果は圧倒的だ。
当時の人々にとって、バターが加わったシュトーレンは
それまでの素朴なパンとはまるで別物だっただろう。
この“バター解禁”のおかげで、
今私たちが知っている 「バターと粉糖をまとった、どっしり豊かなクリスマスブレッド」 が生まれたと言っていい。
◆ “手紙一枚”が、文化を育てる
バターレターは決して大げさな話ではなく、
ひとつの食文化の岐路をなした実在の史料として、現在でも文献に残っている。
史実の核心はこうだ。
当時の宗教戒律ではバターは禁止 しかしザクセンの領主とパン職人たちが強く要望 教皇が「寄付を条件に許可」を出す これによりリッチなシュトーレンが誕生し、後世に広まった
バターを使うか否か。
その小さな議論が、500年後の私たちのクリスマスの味を決めた。
そんな壮大かつ愛らしい物語が、
“バターレター”というたった一枚の許可証に込められている。
◆ あなたがシュトーレンを焼く頃に
もし今年、あなたが自分でシュトーレンを焼くなら、
仕上げのバターを塗る瞬間に、500年前のパン職人たちに想いを馳せてみてほしい。
「ようやくバターが使えるぞ!」
そう叫んだ誰かの喜びが、
今あなたのキッチンに流れているかもしれない。
